百年の孤独

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CIEN AN~OS DE SOLEDAD
(百年の孤独)
/ Gabriel Garci’a Ma’rquez
(ガブリエル・ガルシア=マルケス)
新潮社


この本は高校生の自分、名前に魅かれて読んだのが最初で。「なんとまあステキな名前」と手にとり買ったはよいが、ハードカバーの単行本で二段組みのこの本を読破するのに一ヶ月以上を費したことを今でも覚えている。とにかく、この物語に登場する人物の名前が覚えられず、理解するのに時間を費やして頭を痛めたのだ。

あの人がこの人の息子ってことはあの女の子はこっちで、あっちはどっちで、あーしてこーして、、、この本に関して覚えていたことは、似たような(同じ)名前の登場人物が繰り返し現れて、よく雨が降って、、、ということくらいで、話の筋も結局、学生時の自分の頭ではうまく取り込むことはできていなかった。

そして、去年。結局友達にあげてしまったこの本が、もう一度読みたくなって本屋を探してみると、装幀も新たに改訳されたこの本を見つけた。以前の版では白と青の地味だった装幀が、暗い地に変な画と箔打ちされた文字がプラス一キログラムほどの重量感を演出していた。やはり値段がお高めなのは「プレゼント用かな」とも思えたけども、本文の文字が以前より大きくなっていたり、家系図が冒頭に書かれているのには、くわえた魚を落しそうなほどうれしかった。

より読みやすくなったこの本は一週間かからず読むことができた。しかし、驚いたことには、二回目を読み終えても、消化しきれずに読んだ一回目と印象はほとんど変らなかった。細部の描写が鮮かになったことや、物語の筋がはっきりしたのは当然なのだけれども、登場人物の名前のことや、雨の印象は変らない。学生時代に理解不足で読んでいたつもりが、物語そのものを読んでいたのだとも思えるようにもなった。 マルケスさんは、「呪術的リアリズム」「幻想文学のなんたら」と紹介されることはよく聞く話だけども、それはただ、便宜的に「この人の書く作品はこういうジャンルですよ」と説明しているだけなのかもしれない。だからこそ、カルト的な題材にもかかわらず、世界中で広く読まれているのだし、ノーベルなんとか賞をもらうまでになったのだろう。

「百年の孤独」という題名にも改めて驚いた要素の一つで。この本を友人に紹介するとき、以前まで「百万年の孤独」と伝えていた。恥ずかしい話だけども、実際にそうだったし、これからも時々間違えるかもしれないといった思いもある。言い訳するようだけども、「百万年」と言ってもさしつかえないような気がする。百年なんていう時間は実際、ほとんどの人間は知らないはずだし。もしかすると、百年は百万年より長いのかもしれない。

このお話は、それくらい長く短かい、早くとも遅い時間を内包していて。なおかつ新聞記事のようにリアルで、ほら話のようにうそくさい。百億兆万光年のようなお話に違いない。


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