HEIFETZ : BACH : Sonatas & Partitas

バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ(全曲)

今日久しぶりに、このCDが出てきたので聞いている。

自分が予備校時代に毎日聞いていた、思い出というより音との出会いのような印象が常にあるCDです。

当時、美大受験のために勉強していたのだけど、やはりセザンヌという人間からは逃げられず、正直わからないと思っていた。点やら線やらなんじゃそらという感じで。

ある日曜日の夕食時、テレビをつけていたらNHKの何たらという音楽番組で、ハイフェッツさんの特集みたいなものが組まれていて、ボケーッと聞いていたら耳がおかしくなった。初めて耳が狂ったというか壊れたというか、耳から脳のブロック崩しが始まったような。

特に音楽が好きというわけではないけど、心臓がバクバクと息継ぎしているのがわかる。早速次の日にCDを買いに行った。それからというものは、約2年間くらいだろうか、毎日一回以上聞いていた。

もちろんバッハさんが作曲者なので素晴らしいことは間違いないし、楽曲も物凄い構成になっているけど、何よりそれを弾きこなすハイフェッツさんの手腕にたまげた。”無伴奏ヴァイオリンのための” とあるとうりに、ヴァイオリンの独奏なのだけど、どうしても二台三台で演奏しているようにしか聞こえない。

旋律を伴なった、音を構成してゆく要素で組み立てられた音楽なのだが。面白いのはCDでいえば2枚目の中盤あたり、”Partita No.2″ の “Chaconne”。それまで構成してきた音を一気に崩す。僕だけなのかもしれないけど、音も崩れるように、僕の中でも感覚が崩れてゆく。その後の楽章で、崩れた音を一つずつ拾い集めるようにして終わる。

それから、音や視覚、物質もそうだけど。すべての要素は小さな元素の組合せだということがわかった気がする。バッハしかりセザンヌしかりだ。特にセザンヌが近代絵画にもたらした、素直な見方というか。それらの元素の組合せが自分の感覚で捉えられる “モノ” になった瞬間に、形を成し、色をなし、匂いを発し、誰かになったり、言葉を話したりする。

さらに言えば、それは壊れうるということ。それを知ったのは大きいと今でも思っている。

音でさえ、これだけ変化し、現われたり壊れたり、走ったり振り向いたりする。感情をいう概念をもう一つ越えたところの “何か” で演奏しているような。僕にとっては一つの人格を持っているような音楽です。

そんなことを書きながら、このCDをリッピングして聞いているところです。あー背中ゾクゾクする。


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